巨石交流会
TOP > 神呪寺・甲山八十八カ所/2014年1月19日
 ●2014年1月19日 第1回 神呪寺・甲山八十八カ所調査(1番から14番・その間で新たに見つかった磐座)
 ●2014年2月23日 第2回 神呪寺・甲山八十八カ所調査(15番から26番・その間で新たに見つかった磐座)
 ●2014年3月23日第3回・4月27日第4回・5月18日第5回・ 神呪寺・甲山八十八カ所調査と掃除(蟹磐・虹の磐座、その他磐座)
 
神呪寺・甲山八十八カ所の調査を始めた理由
民族遺産が何ものなのかを知りたくて、六甲山のあちこちの磐座などを巡っています。2013年11月24日に、神呪寺・北山・目神山をかけ足で巡りました。その時の感想として、「誰でもが、四国巡礼ができるように、甲山八十八カ所が建立された」とありますが、本当にそれだけの理由だったのだろうか?という疑問です。ウィキペディアの神呪寺を見ますと、「六甲山系全体を所領とする廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)またの名を瀬織津姫のこと」「聖徳太子の関わりのこと」「瀬織津姫と役行者が邂逅した場所・廣田明神影向岩(山門から約200メートルの磐座群(甲山八十八か所))に、役行者、前鬼・後鬼の像が岩の上に安置されていること」「空海・真名井御前(如意尼)が修業されたとする九想の滝(甲山森林公園入口の東約200メートルのところに位置する)」などが、見えます。
瀬織津姫が過ごしたと言われる目神山(女神山)の、そばであるこの辺りは、自然豊かで、多くの磐座があったのではないでしょうか。
 
木造如意輪観音坐像(国指定重要文化財) 木造弘法大師坐像(国指定重要文化財)  

仮説を立てて、調査は始まりました。
瀬織津姫がこの世におられた頃(廣田神社が、神功皇后摂政元年(西暦201年)創建とありますから、もっともっと昔です)、多くの神々が集まり祭祀をされていました。その事で多くの磐座があるのです。六甲山全体が、廣田神社の社領とありますが、あまりの広さに管理が行き届かないのでしょう、聖徳太子がてこ入れに、新たな寺社仏閣を六甲山の周りに造っています。
法道仙人も関わっているかも知れません。役行者は、瀬織津姫と邂逅し、磐座を守るように言われたのでしょうか、その場所が「廣田明神影向岩」とされています。
それでも、この辺りが荒れてきたのでしょう、淳和天皇第四妃真名井御前=如意尼は、空海の協力を仰ぎ、3年間九想の滝で修行を積まれ、831年神呪寺の本堂落慶をします。この時の寺領が250町歩とありますから、すごい広さです(現在は境内地の20町歩)。
長い年月に、磐座が忘れられていくのを懸念したのでしょうか、1798年甲山八十八カ所として磐座の上に石仏を祀り、守るようにしています。甲山八十八カ所の創設について、神呪寺に残されている「四国八十八カ所石像施主過去帳」の序文に、「本朝の霊区で弘法大師の遺跡である神呪寺に四国八十八カ所の霊像を模彫造立する事を宿願としている二、三人の信士らの発言が契機だった。」と記され、「諸檀徒の霊名を集め、極楽往生・追福回向供養・現世安静を願う」のだとしているようです。
それから216年の今(2014年)どうなのでしょうか、その間には自動車道路が通り、ハイキングロードが整備され、石仏は道路の側に移されています。岩の上に祀られていた石仏もあると思うのですが、岩はジャマモノとされたのでしょうか。
どれだけの磐座があるのでしょうか?昔の祭祀跡の姿を見ることが出来るのでしょうか?
調査は、始まったばかりです。(2014.01.19)

 
第一番 霊山寺 釈迦如来
第二番 極楽寺 阿弥陀如来
第三番 金泉寺 釈迦如来
第四番 大日寺 大日如来
第五番 地蔵寺 地蔵菩薩
第六番 安楽寺 薬師如来
第七番 十楽寺 阿弥陀如来
第八番 熊谷寺 千手観世音菩薩
第九番 法輪寺 釈迦如来
第十番 切幡寺 千手観世音菩薩
第十一番 藤井寺 薬師如来
第十二番 焼山寺 虚空蔵菩薩
第十三番 大日寺 十一面観世音菩薩
第十四番 常楽寺 弥勒菩薩
2014年1月19日・見つかった磐座
 
六甲山の民族遺産は、私(企業)有地内にある場合が多いです。許可無く侵入することのないように、お願いします。
 
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