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TOP > 民族遺産を知る > 2014年1月19日(日)神呪寺・甲山八十八カ所調査、1番から14番

2014年1月19日(日)10時JR西宮北出口に集合
乗用車2台に分乗し、神呪寺・八十八カ所の調査に行く。調査目的は、八十八カ所の一つ一つを確認し、石仏が据えられている岩が、磐座の可能性が高い。その事のフィールドワークをしました。
(参加者:8名、内スタッフ:4名)
【甲山大師 神呪寺】

由来によりますと、寺名の神呪寺は「かんのうじ」と読み、後ろにある甲山を、霊山としご神体としています。
1798年に、神呪寺・甲山八十八ヶ所、完成とありますから、昔から六甲山の磐座が存在していたということのようです。
神呪寺のサイト
http://www.ne.jp/asahi/kabutoyama/kanno-ji/

  神呪寺
甲山八十八ヶ所  

【真名井御前】ウィキペディアによりますと。
第53代淳和天皇第四妃真名井御前=如意尼は、出家するために天長5年(828年)、宮中を抜け甲山へ入った。この時、空海の協力を仰ぎ、神呪寺にて3年間修行を行い、天長7年(830年)に空海は本尊として、山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで、如意輪観音像を作ったという。この如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)10月18日に本堂は落慶した。同日、妃は、空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とした。神呪寺の鎮守は弁才天。この神は六甲山系全体を所領とする廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)またの名、瀬織津姫のこと。当初の寺領は淳和天皇より、150町歩の寄進があり、合わせて250町歩となったが、現在は境内地の20町歩となった。

 
 

一つずつの、石仏・台座などを調べていきます。
西宮歴史調査団調査報告書「甲山八十八カ所」という出版物があり、そこに石仏の名前・総高・施主・石質などが記されていますので、私どもの調査は随分楽に行え、磐座に集中できます。
【磐座】

ウィキペディアに、下記の記述があります。
「廣田明神影向岩」山門から約200メートルの磐座群(甲山八十八か所)に廣田神社祭神(天疎向津姫=瀬織津姫)と役行者が邂逅した場所があり、役行者、前鬼・後鬼の像が岩の上に安置されている。「九想の滝」甲山森林公園入口の東約200メートルのところに位置する。 空海・真名井御前(如意尼)が修業されたとする。
磐座がある事は、知られていたようです。

 
 
目神山・個人宅の磐座  

*上の上【放置されている磐座】
*上左【上の上の横にある磐座】
*上右【石の下に台座があり、磐座と認める】
1番・8番の後ろの山に放置されていた磐座。この山の後ろへ回ると多くの岩が、人手の入ったような積み方になっている。
*左【パラボラアンテナのような石】
*下左【パラボラアンテナのような石の後ろから見た甲山】
*下右【岩の組み合わせ。自然に出来てるには無理がある】
14番まで来た。磐座を見るにはこれからだ。初日にして、これだけの磐座に会えるとは・・・。どのように整理して行くかが、考えるだけで大変な作業となるが、楽しみも倍増だ。
今後、1番から一つずつ整理し、公開していきます。

 
 
*2014年1月19日の調査報告は⇒
 
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